スフマート=フィリサティ

物語の始まる少し前の話

俺には家族にしか言えない悩みがあった。

それは、俺にだけ見えて聞こえる人ならざる者の事だ。

生まれた時から人ならざる者の姿と声は俺の脳を蝕み、休む間もなく俺そのものを支配し続ける。

家にいたら顔も名前も知らない男の恨み節、外に出たら交通事故で亡くなった人たちの無念や怨念が襲いかかる。

そんな生活を続けていて狂わないはずが、恐怖に怯えないはずがない。

いつしか俺は外に出る事を、家から出る事を拒み始めた。

だだっ広いベッドで1日中布団を被り丸くなりながら、俺は届くことのない願いを口にする。


「お願いだから、やめて…お願い…どっか行って…。」


だけど、どんなに俺がやめて、と願ってもそれは止まる事を知らずどんどん頭に流れ込んでくる。

苦しいよ、辛いよ、助けてよ…人ならず者はそんな言葉ばかり口にする。

ふざけるな、それは俺の台詞だ。

俺の方が苦しくて辛くて助けて欲しいのに、死んだお前らが俺の事を苦しめているのに。

それに頭がすごく痛くて、夜になっても眠れなくて、とっても苦しくて…子供ながらこんなのあんまりだろう。

おかげさまで、目の下は真っ黒だった。当然だ、眠れないのだから。

でも、どうすれば良いのか分からない。

何故か。母様や父様でも、周りの大人でさえどう対処すれば良いのか分からないからだ。

精神的でも肉体的でも病気ではない、だから薬も処方して貰えない、悪霊に取り憑かれた訳でもない…そんな状態だから医者も霊媒師も誰も彼も手の打ちようがないと匙を投げた。

嘘をついている訳じゃない、構って欲しいから我儘を言っている訳じゃないのに…。


「母様…。」


そんなだから幼い俺は毎日、毎日母様に抱き着いて泣いていた。


「よしよし、良い子、良い子…。」


母様に抱き締められたその時だけ、人ならざる者はどこか遠くに行くし何より大好きな母様が優しく抱き締めてくれる。

俺はその時間だけ、俺でいられた。

でも、母様はいつでも俺の側にいてくれていつでもすぐ抱き締めてくれる訳じゃない。

母様が仕事で夜遅くまでいない時も勿論あった、その時は大好きな絵を描いて人ならず物の姿と声を誤魔化していた。

どんな絵を描いているのかって?それは勿論、俺の悩みの種である人ならざる者だ。

悲しい顔、苦しい顔…色んな人の色んな顔を描いた。

…どうして絵なんだって?

母様程じゃないけど、大好きな絵を描いていると気を紛らわせるし、何より大好きな母様と父様に褒められるし、それにコンクールに出すと偉い人にもいっぱい褒めてもらえて賞も貰えるから。


「スフマート、おめでとう。」


「…うん、ありがと…父様。」


…父様に抱き締めて貰えなかったのかって?…父様は嫌いじゃないけど、何となく言い難かった。何となく、だけどね。

…話が逸れてしまった、父様の事は良いとして…そんな生活を何年も続けてきたおかげか、いつしか周りの人達は俺の事を画家と呼ぶようになった。

俺の腕を見込んで依頼もちまちまとだが、入るようになった。

皆の期待に答えたくて、学業との二足の草鞋で頑張っていた。

だけど、そんな生活も俺が高校2年になりたての頃にとうとう限界を迎えた。


「…体に、力が…入らない。」


長い事、自分を誤魔化し続けてきたが体の方は限界を迎え 鬱になってしまった。

勉強の内容が頭に全く入らない、体も重い、大好きだった絵も描きたくなくなった、母様や父様は愚か後に生まれた妹にさえ辛く当たってしまう…


あぁ、このまま俺はダメになっていくんだ…。


やがて学校にも行かなくなり、毎日のように頭に流れる俺にしか聞こえない誰かの誰かへの恨み節を聞きながらベッドで啜り泣く俺を見兼ねた母様はある提案を出した。


"この家を出て、リヴーにある山小屋で暮らしてみない?あそこの山小屋は知り合いの芸術家のアトリエを無償で譲って頂いた物だから、画家を志す貴方にとって良い経験になると思うの。"


この恨み節から離れられるのなら、家族に辛く当たる事がなくなるなら、また絵が描けるなら、学校が続けられるならもう何だって良い。

猫の手も借りたいどころか、もはや藁にも縋る思いだった。

二つ返事で了承した、話がトントン拍子に進み リヴーで1人暮らす事になった俺は学校も夜間制から通信制に切り替えた。

…夜間制の学校なのは、昼間より夜のほうが人ならず者が少ないからだけど 外が暗いと言えどどっちみち声は聞こえるから対して意味はなかった。

そんなこんなで出発当日、玄関まで見送りに来てくれた妹は寂しそうに俺を見る。


「…お兄ちゃん…行っちゃうの…?」


今まで家族が長期間離れ離れになることなんてなかったんだ、寂しいに決まっている。

だけど、決めたんだ。今更後戻りする気はない。

俺が、俺である為にも。


「…メヌ、ごめんな。離れ離れになるのは寂しいだろうけど、その代わり毎日電話するから、な?」


ぽんぽん、と妹の頭を優しく撫でる。


「…うん、約束だよ?」


「おう、約束。」


へへ、と笑うと妹もつられて笑顔になった。

…そろそろ時間だ。


「いってらっしゃい、気をつけてね。」


「ちゃんとご飯は食べてね。」


「…うん。」


妹に、家族に見送られながら俺は家を後にした。

新しい生活の始まりだ…!



「…ふぅ、これで全部かな。」


長い長い船旅と、長い長い山登りを終え 山小屋に無事に到着した俺は、少し仮眠を取った後荷解きをして荷物を整理して父様から貰ったカップ麺を食べて…部屋で横になりながら団欒して今に至る。

家にいたら毎日家族と会話していたけど、しばらくはそんな事もない。

…本音を言うとちょっと寂しい。

おはようと言って暖かい朝ご飯を出してくれる母様、ソファでお腹出しながら寝てるちょっとだらしない父様、学校帰りは決まって俺に抱き着いてくる妹…

1人暮らしをすると嫌でも家族という存在のありがたみを感じる。

はぁ、これから大丈夫かな、俺…ていうか、そろそろ明日から依頼絵に着手しないとなぁ。

いい加減手を付けないと、これからの取引にヒビが入るから。

…それはそうと、1人暮らしを始めて数日 俺はある事に頭を悩ませていた。


「…人ならざる者が見えない、聞こえない。」


そう、あれほど俺を苦しめてきた人ならざる者の姿が、声がリヴーに住み始めた途端 見えなくなって、聞こえなくなったのだ。

それはとても良い、勿論とても良いんだけど俺の言うある事はそれじゃない。

悩みのタネが無くなったこそのある事なんだ、それは…。


「…あの"男"、誰だろう?」


俺の家にいた、名前も顔も知らない恨み節を絶え間なく吐き続けていた男の事だ。

ボサボサの灰色の髪で、目元まで髪で覆っていて、何か全体的にだらしがなくて…。

父様と母様にきいてみても、都合が悪いのか2人は口を割らなかった。

きっと、あの時は精神的に弱っていた俺には刺激が強いと思って黙っていたんだろうけど…多分。

でも、今の俺ならきっと大丈夫、家にいない今ならば。

だけど、きっと父様と母様の事だから素直に教えてくれるとは思えない。

…だから、こっそり2人に内緒で調べる事にした。

悪い事とは思っていない、だってこれは俺を支配してきた人ならず者の消し方を完全に解決する糸口になるかもしれなかったから。

依頼絵に着手しながら、学業に励みながら、その間にちまちまと調べる事早数週間。

こんな新聞記事がみつかった、20年も前の、妹や俺さえ生まれていない時代の新聞記事だ。


"ライゼスダフォルに男の遺体が!フィリサティ夫婦行方不明事件の犯人か?"


「…え?」


フィリサティ夫婦って…父様と母様の事?


「…何これ、どういう事…?」


調べてみると、どうやら父様と母様はかつて"ある事件"に巻き込まれたらしい。

結婚したばかりの父様と母様が突然、書き残しを置いて行方不明となった事件。

その事件の犯人が、かつて母様と婚約をしていた"サラール・デスグラシア"。

動機は母様がそのサラールって男の婚約を蹴って父様と結婚したから、だそうだ。

新聞記事には犯人の顔も掲載されていた、紛れもなく家にいた男そのものだ。

だが、男は逮捕される事はなく ライゼスダフォルで死体となって発見された。

警察は罪の意識に耐えかねて夫婦の目の前で自殺したんだろうと判断してるらしいけど…。

…もっと、知りたい…過去の父様と母様の事…そして、サラールの事。

新聞記事を見て、俺は居ても立っても居られなくなった俺は山小屋を飛び出し、下山してライゼスダフォルに向かう。

父様と母様に真意を聞くのも忘れて。

全ては真実を、その目で知る為に。



場所は変わって、ここはライゼスダフォル。

ライゼスダフォル、かつて死刑囚の流刑や有罪判決を受けた者の尋問や拷問を行う事を目的として使用されていた国。

辺りは死刑囚達の無念と怨念が漂っているとされており、大変危険とされる。

現在は死刑制度は廃止された為、荒れ果てた国となっており人は誰もおらず滅多にここを訪れる人はいない…だったはず。


「…………!!」


噂通り、辺りは死刑囚達の無念と怨念が漂っているって事は、そう言う事だろうと思って覚悟はしていたけど、久しぶりの感覚に目眩がする。


「…………ぐ…………ぅ……………。」


流石に足元が悪いから目は閉じれない。

耳を塞ぎながら歩いていると、足に違和感を覚える。


「……何か、踏んだ…?」


靴の裏の確認してみる。

細長くて赤黒い、何か。

俺はそれに見覚えがあった、父様がたまに吸ってる…。


「……煙草…?」


…何だ、ただのゴミか。

大方、ここに住んでいた看守が吸っていた物だろう。

早く手がかりを探さないと…そう思い、再び歩を進めようとすると…。


『おかえり、待ってたぜ…俺。』


「…え?」


今度は、はっきり聞こえた…男の声。

…ここで、"俺"としての意識は途切れた。

そして、大陸全体を揺るがすあの事件へと繋がっていく。

己の手で家族を、絆を、愛を、何もかも壊しかけたあの事件へと。


スフマート=フィリサティ 終


Chapter1